彼らは微細な翅虫のように(再録)

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わたしの好きなデューラーは「犀」のデッサンをいくつも描いたが、たしかに描きたくなる生き物だ。わたしの場合は「犀」よりも「象」だろうか。象はアフリカやインドなどの大陸と呼ぶにふさわしい大地に棲んでいるけれど、わたしにはなぜか小さな島に生きる動物に思えてしかたがない。しかも眼にみえない小さな翼を生やしていて、けれどもその翼はまったくの飾り物で、移動する際にもちいられることはなく、専らあの太い四本の脚がかれらを運ぶのだ。すくなくとも地上ではそうみえる。
象は賢明さと愚かさをともに超越してしまった生き物だ。ここで大切なのは「しよう」として超越したのではなく「しまった」ということ。ストンと落とし穴に落ちるようにかれらは越えた。
象の落ちる穴だから、その穴は大きな穴で、ひとはそれを「無」と呼んだりもするが本当はただのだだっぴろい穴なのだ。そこでは象もごく小さな虫のようにみえる。眼を凝らすと、実際かれらは微細な翅虫のように、例の小さな翼をもちいて翔んでいる。それが実にせわしない。でも、音ひとつ立てない。さらに眼を凝らすと、激しく回転する小さな翼はいつのまにか一輪の桜の花に変わっている。太い脚も軽やかだ。
ところで、かれらもまた疲れると休む。宇宙のようなその穴に浮ぶ「島」で休むらしいが、それをみたものはだれもいない。