2006-01-01から1年間の記事一覧

相変わらず・・・・

わたしは多忙を極め、このとおりですが、このお二人は相変わらず、このとおり・・・

シド・バレットよ!

シドが亡くなった。確かに彼はすでに死んでいた。けれど、多くの者たちのなかで、彼は生きていた。 ぶくぶくの禿男になっているという話をきいても、わたしたちのなかで彼は貶められることはなかった。 絶頂期にヤクか自殺かなにかで死んでいった誰かさんの…

膝を崩して

「たまにはだらしなくなることも必要だよ、あんた」 CARL SPITZWEG The Poor Poet 1835 Oil on canvas, 155 x 221 cm Neue Pinakothek, Munich

あるいは絵画をめぐる視線の共犯関係

片方の掌は手袋により隠されている。そしてもう一方の掌は、視る者の視線を引寄せんばかりの姿態で露呈されている。裸体の掌。たしかに掌は隠されていることよりも露わになっていることの方が普通だろうし、こうしたポーズがおそらく当時の肖像画の一類型で…

その綻びから「裸体」が

砂漠とは裸体にほかならない。メタファーという薄衣を剥ぎ取られた言葉が「意味もなく」堆積する、「彼方」すらない地平だ。 そして砂漠とは死にほかならない。にもかかわらず、わたし(たち)はそこで生きたいのだ。なぜならそこには自由しか存在しないのだ…

かれらは微細な羽虫のように

わたしの好きなデューラーは「犀」のデッサンをいくつも描いたが、たしかに描きたくなる生き物だ。わたしの場合は「犀」よりも「象」だろうか。象はアフリカやインドなどの大陸と呼ぶにふさわしい大地に棲んでいるけれど、わたしにはなぜか小さな島に生きる…

「M★A★S★H」

Robert Altmanの「M★A★S★H」が1970年にカンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞したのは単に当時の政治的事情というか風潮によるものだから、この作品が「お墨付き」の傑作だなんて勘違いしてはならないし、ブラックユーモアたっぷりの戦争風刺&ドタバタコメ…

ユメノナカ

鼻声でうたうアンタにla-la-la 塞がる胸にla-la-la 跳び箱のむこうにしゃがむ君 ならんだ膝小僧にsayo-nala かなしいユメノナカノla-la-la

モールス

tu-tu-tu- ゆくばかりだ 二羽のjoubitakiかと思ってきいていたら わたしの鳴く声だ そう思っていていいだろう 寒の戻りでわたる風だ どこへ行ったかわからない 神々の挨拶みたいなものさ 分厚い紙の空き箱をのぞいて みんなおんなじ種を落とすのだよ 手をつ…

あなたへと至る ⅲ

崩落した崖のしたに転がる石の尖り、石英の光だ。そして、それは血と知の匂いを放って脳を刺激する腐敗寸前の百合だ。その、一歩手前に居つづける緊張感とアンダーグラウンドなゆらぎ。闇のなかでそれは唸っている。しなやかな肢体、野太い声、長い髪。誰と…

あなたへと至る ⅱ

アート・スクール系パーティ・バンドのキッチュ、B’52。セカンド「WILD PLANET」は世間的にはパッとしなかったらしいが、わたしはきいてすぐ気に入った。今はじめて知ったことだが、デビッド・バーンがプロデュースしたんだって。そりゃ、売れないかも。きっ…

そのひとの手の翳しようで

音のかたちについて語るのは難しい。なぜなら、その「かたち」は、輪郭線を引いてしまうとその途端消え失せてしまうからだ。 触れることのできない「かたち」、それは硬度とやわらかさ、密度と拡散のせめぎ合いのなかにあって、確かに視えるのだ。澄んだ水の…