ペスト&コレラ
「ペスト」60ページほど読み返している。
翻訳でもカミュの文体の質を伝えようとしているようだけれど、その印象は、ガラスでも金属でも氷でもなく大理石と言いたいところだけれどどうもそれともちがう。
部屋の中にあるものを見渡して「圧の高い厚紙」の感じが近いと思ったが「それが?」か。
伝染病が出て来る小説で読んだことのあるのは映画の方が有名なトーマス・マン「ヴェニスに死す」くらい。
※微かにネタバレ
美しい少年タドゥツィオに狂おしいまでに魅せられた権威ある作家エシェンバハのストーカー物語の核は死と美学であって「美少年愛」「同性愛」ではないと思う。たとえマン自身が同性愛者であるとしても。
死に縁取られた生の美学は、コレラの蔓延を通奏低音に、老いが忍び寄る作家の中で抑えきれず増幅するが、ここで性差はどうでもいいことだ。
もちろん厳密に論じるならセクシュアリティの問題が絡んで来るだろうし、美学と言うと透明感があるが、この美学には身体の細部へのこだわりがないまぜになっていて、それがヴェニスを舞台となれば反透明感-湿り気と臭いがあるのは当然だ。
そんなこんなで、この物語でのコレラは感染症ではないと言っていい。象徴だ。
それに対して「ペスト」のペストは感染症そのもの。だから今読まれる。