蝶のことば

日高敏隆氏が亡くなる。好奇心と自由な感性、そして柔軟な思考で動物の行動を探究してきた彼のことを、やはり先ごろ亡くなったレヴィ=ストロースが知の巨人と呼ばれるのなら、わたしはなんと呼ぼう。
「犬のことば」という本が日高氏との最初の出会いだが、それ以来いくつかの彼の著書を読んできてわたしが思うのは、ひらひらゆらゆらと宙を舞いながらも決してあてもなく飛んでいるのではない、けれどもなんだかやっぱりたよりなさげな、まるで蝶の飛行のような言葉の自由なありようであった。それは、ある意味「読む」というよりは「眺める」べきものであって、考えるためのものというよりは愉しむためのものであった。
あの「鼻行類」や「利己的遺伝子」の訳者でもあることもまた、物事にとらわれない彼の好奇心と自由な感性と柔軟な思考の「ゆるさ」をあらわしてもいるだろうか。
昨年だったか、彼の「現在」までの足跡をNHKがドラマにしていたのをみていて、最後に日高氏自身が登場して、なんだかたよりなさげに自信なさげにみずからのことを話しておられたけれど、あれは本当にひらひらゆらゆらの蝶の翅そのものであった。
だから、わたしは彼をなんとも呼ばないことにしようと思う。木々の隙間を、空の高みをやっぱりたよりなさげに自信なさげに飛んでいる彼を呼びとめてはいけないからね。