キレイな言葉

モノ作りの時代と違って情報資本主義の現代においては、情報(=コト)を集積集約するのに大多数の労働者は不要で少数化が可能であるから富の分配はピラミッド化するのは必然だし、且つ少人数化で独占すればするほど、あるいは少人数化、AI 化がもたらす高速化によって情報の価値はより高まりその情報から得られる利潤は一層上昇するので、分配の非公平化は当然の帰結なのだと、人を思わず合点させるキレイに筋の通った言葉ほど注意しなければならない。
もっとまわりを見渡せば、それが都合の悪い事象を捨象した上で成り立つ聞こえのいい言説であることはすぐにわかる。実に単純な「ウソ」なのだ。多様性に支えられた視線がないと「ひとつの答え」が「万能の答え」に見える、その原理をデマゴーグはいつも用いる。
また、ネット上では、こうした言説を意図的に巧みに拡散する者や集団、組織がいて、それを鵜呑みにして再拡散する不特定多数の動きが増殖されるので検索順位が上がっていき擬似的に正当性をまとっていく。あとはその連鎖。
TVその他のメディアも「捨象」あるいは「隠蔽」することで物事の一面化に貢献しているので、それ以外の方法で「知る」ことでしか「ウソ」を見抜けないのだが、それには時間と信頼できるコンパスが要る。道は二手しかないのだ。(未)