リュミエールの微笑み

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WOWOWでクリント・イーストウッド特集をしていて、放映されたほぼすべての作品を録画した。ほとんどが過去に何度もみた作品だったが、以前目にしてそれほどいいと思えなかった「バード」がとても素敵な作品だと気づいたことは何よりの発見だった。

妻の実家であったウェストチェスターの自宅からボストン?でのオーディションに向かうその別れ際、車に乗り込もうとするチャーリー・パーカーを見つめる妻の髪が風と光にゆれるさまをすくなくともわたしは忘れることはないだろう。おそらくカメラマンはこのときの天候の気まぐれを最高の幸せと思ったにちがいないし、監督であるイーストウッドもまたそうであっただろう。映画を愛する者だけにもたらされるリュミエールの微笑みというべきか。CGだらけの動画には縁のない最高の愉楽のときを今年最後に与えてくれたイーストウッドに乾杯。

もうすぐ2007年も終わる。とりたてて感慨らしいこともないけれど、慌ただしい日々の只中にあっても、またそれがどんなにささやかなものであっても、あらたなる「芽生え」にたえず視線を注いでいきたいものだ。悪しき「芽生え」には警戒と怒りを、よき「芽生え」には期待と愛しみを。
諦念と希望を「中庸」という輪郭におさめること。そして、出来得ることならその表層にわずかばかりの罅を走らせること。

今、二三輪のツルバラがそのつぼみを北風に揺らめかせている。年が明けたらすぐに剪定と誘引を行わなければならない。鉢に植えた二本のバラもあたらしい鉢に植え替えたい。

ボンボンとアイアイは相変わらず元気だ。最近変わったアボダームのカリカリフードが気に入っているらしい。それでかどうだか知らないが、ふたりともちょっとふっくらしてきている。だから見た目もあたたかくてよい。

ふたたびモーツァルトをきいている。来年はまたジャズでもききなおしてみようか。映画はトリアーをきちんとみてみたい。

できなかったこと、心残りなこと、納得のいったこと、愉しかったこと、すべてがそのまま流れていく。