それはかぎりなく愛のさまに

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映画はかぎりなく料理に似ている。


食材の吟味、たとえば旬の走りか盛りか、鮮度、色つや、大きさや太さ厚さの具合といったこと、まな板の上での細やかでいて厳しくもある判断、どこまでを切り捨てるか、どの厚さに太さ細さにするか、切れ目を入れるか入れないか、それぞれの材料の配分は・・・、それから、それらの食材を鍋に入れるあるいは火を通す順序、そして味つけという思慮深い繊細さ、口にする者の嗜好はもちろんのこと、健康状態にすら配慮し、あるいは隠し味をどこにどのように隠すかまた隠さないか、食材への浸透をイメージし火加減を調整し、ときにやさしくときに大胆に攪拌し裏がえし、また素早さを要求されるかと思うと待ち続ける忍耐を求められ、そうしていよいよできあがったそれは、そのできあがりにふさわしい器にしかるべき手つきで盛られなければならない。盛りつけの際の箸のあるいはお玉のうごき、それにともなって腕や指に込められるであろう諸種の力、盛るひとの息遣い、視線のゆらめき、湯気の立ちのぼる様子・・・


それはかぎりなく愛のさまに似ている。


愛が単に感情という線上を行ききする動きであるなら、それは本能の変奏にすぎないだろう。


わたしたちはスクリーンという食卓につくのだ。それが大地からうまれ、育ち、持ち上げられ、さまざまなかたちで丹精をこめられ、調理という場に誘われ、一品の料理に生成される、そのあらゆる変容のさまとそこに息づく思慮深さや大胆さを、わたしたちは舌のうえにのせ、ゆっくりと咀嚼しなければならない。

その意味で、この映画はやはり極上の料理にちがいない。もっとも料理の名前で呼べばカツ丼ということになるのだろうが。



最前線物語」(米・80)監督/サミュエル・フラー、出演/リー・マーヴィンマーク・ハミルロバート・キャラダインステファーヌ・オードラン