開かれた書物・開かれた光景

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本当のことを言えば書物に限らないことだし、わたしのブログに個別の「書庫」が設けられていないのもそれゆえなのだけれど、とりあえずここでは書物に限って話すことにしよう。
ジャンルなんてものは凡そ便宜的なものにすぎず、少なくともわたしのなかでは思想史の書物も生物学の書物もコミックも小説も詩歌も図鑑も辞書も絵本も同じ地平に開かれていて、同じ光景のなかで息づいている。
最近は子どもに読みきかせるために読む書物がひと月に30から50冊もあるのだが、そこで触れるいわゆる幼児向けの書物をみても、ジャンルは便宜的なもので、それぞれの本や雑誌は、野に息づく草木や花や木の実のようにわたしの眼に子どもの瞳に映し出されているはずだ。

これからわたしが触れるであろう書物をわたしは幼児向けの書物とか児童書とか呼ぶのはよそうと思う。
それが「たかだか子供相手のものだ」という意識や「こういうのを子どもは楽しく感じるんだよ」という大人の視線で作られた書物でないのなら、ジャンルを越えてそれらの書物はわたしにも開かれているはずだから。

そう、体験される光景は凡てに開かれているだろう。

たとえばこの一匹のおさるのcuriousのようにね!