閉じざる

思考の死も恍惚も、単なる他人の死の認識と同じように、まやかしや無力さをまぬがれていません。思考の死はつねに挫折します。それは実際、無力な運動にすぎないのです。同様に恍惚も無力です。恍惚の中には、恍惚の恒常的意識といったものが存続していて、所有に差し出された事物の水準における、飼育者にとっての家畜の命と同様に、恍惚を不当な水準に位置させているのです。


『〈非ー知〉閉じざる思考』バタイユ西谷修訳(哲学書房)より