社会性ということ

爆発的に感染が広がって来なかった理由として、日本人の国民性のプラス面と、文化や慣習が(たまたま)拡大防止にプラスに作用しているという、その2点を挙げている例をちらほら見かける。それはその通りだと思う。
一方で、日本人の、日本の閉鎖性やムラ意識が感染者数を抑えている、という意見もなくはない。
感染者数を抑えているのは、厚生労働省周りのムラ制度だけではなくて、それと地続きのわたしたち自身のムラ意識、ということだ。社会性は容易に「共犯」に変貌するというのは歴史の教えるところだし。

感染していることがわかったら迷惑をかける、だから検査を申し出るなんてとんでもない、自宅待機で乗り切ろう。あるいは会社が従業員にそれを強要している。
そうした( )付きの感染可能者がかなり存在すると思っている人はたくさんいるはず。
乗り切れたのならいいだろう、感染者数を増やさないことで社会的不安や混乱を防ぐことに貢献しているし、結果的にどこにも迷惑かけなかったし、と正当性も用意出来る。
「迷惑」「貢献」、そういった気配りは本当の配慮ではないように思う。
某タレントの感染、入院へのツイッターに自己中とか配慮に欠けるとか批判が出ているらしいが、そういう刃は本当にやっつける相手に向けてほしいと思う。またメディアもそんな気がない者のリツイートを「批判」なんて言葉で記事にするのはおかしい。
こういう状況のときに見えてくるものの中に掘り出し物がゴロゴロ転がっている。
もしかして、こういう言い方も配慮に欠けるのだろうか?