フェイク&ファクト

凡庸なりに考えたこと。

オーバーシュートになっている国や都市の現状と比較してどの要素が同じでどの要素が異なるか、多角的な観点で考えた総合的な判断で医師会もクラスター対策班も山中教授も提言しているはずで、その一方でどうも恣意的に事実や数字を引用したりして短絡的な結論を出す人達がたくさんいるようだ。
数字自体は客観的なエビデンスだが、恣意的で一面的な思考プロセスで導かれる意見はおよそ科学的でも現実的でもないだろう。
別に専門家の意見だけが正しいと言っているのではない。「専門」の外から観る者の視点が専門家の陥るドグマをすり抜けてより的確な判断を生むことも少なくないのだから。
恣意的であったり短絡的であったりする言説には大体意図や目的があるようだ。(それがなければただの戯言)
今回のコロナウイルスで言えば、通常のインフルエンザの死亡者数と比較した上で「だから安心していいよ」というメッセージを不安に駆られている人に送り、検査や診療の必要のない人たちが各部署に殺到して起こる医療崩壊を未然に防ごうとしている、そんな意図があるのかもしれない。

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内閣情報調査室や政府系のシンクタンクがその中核にいて、下部組織や言論サイト、アルバイトなどに書かせて様々な方面に拡散させているのだろうか。
その目的自体があながち間違ったものではないだけにこういう半フェイクファクトは取り扱い方が難しい。早い話、嘘も方便という奴だ。
が、フェイクである。ただ、方便であることを知ったうえで読んだりシェアする行為を「悪い」「間違い」とするのは難しい。
けれども、それをそのまま鵜呑みにすると現実を見誤る可能性があるだろう。
危機感を持つことと危機感に煽られることの境目は定かではないだけに、だからこそ正しい情報と認識が欠かせないと思う。
もちろん疫学的な事象には社会学的な情報蓄積と知識に基づく対策、ある種の情報操作・検閲は不可欠で、科学的に導き出された対策を機械的に実施すれば良いというものではないだろうが、現状把握が最初のスタート地点であって、そこから得られるエビデンスが少ないままなのは
やはり山中教授が指摘するように問題だと思う。

「AFP通信は、アメリカで日本時間の4日午前9時半までの24時間に亡くなった人は1480人となり、1つの国で1日に新型コロナウイルスの感染で亡くなった人としては最も多いと伝えています。」

この最悪の事態(特にニューヨーク)にならないために、という正しい危機感から中山教授も西浦教授も訴え続けている。
日本はそうはならないかもしれない、という要素はあるけれど、そこに依拠した意見は「方便」としてスルーしたい。

志村けんさん1人で多くの人が悲しんだ。1480とか1685とか78(4/4 15:09現在の国内で感染し死亡した累計人数)とかではなく、的確に対処してその数字を最小限に抑える、ただそれだけのことなのだ。ごくごく当たり前に、たった1人がかけがえのない1人なのだから。
※日本人の7割が感染すれば集団免疫ができて(方法は2つ)いずれ収束するということを今言うべきではないだろう。

誰も読まなくても整理出来たのでいいか。でもこんなことしている場合じゃない。入学式の祝辞完成させないと・・・